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今はホルン、着物、ゲーム感想文などなど。
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8月14日におばあちゃんが亡くなって、2週間後にお母さんとお父さんが死にました。
父が母を殺して、自殺しました。
岡山の実家に帰っていた母を、早朝山口から230km車で訪ねて行って、母の背中を15カ所刺して、自分は首にためらい傷、お腹と心臓を刺して自殺しました。
母は失血死、父は心臓を刺したことによる心タンポナーデが死因でした。
おじいちゃんが第一発見者で、朝から畑などの用事で出入りしていて、直近30分家を空けた後に戻ると、血まみれの母を見つけました。
母のいた居間は血まみれ、父は奥の仏間の2週間前に亡くなった祖母の遺影の前でほとんど血を流さず倒れていました。

父は7月22日に母を平手で殴り全治1週間のけがを負わせたとして傷害で逮捕されていて、8月10日に起訴猶予で釈放されていました。
DVで以前から暴力をふるっていたようにニュースでは言われていますが、暴力をふるったのは7月13日と7月22日の2回だけです。
お酒は相当量飲む方で、もう若いころからそうでしたが、飲んでも機嫌がよくなるだけで怒ったり物を壊したり、人を殴ったりということは過去ありませんでした。
だから、母も父のことは以前から嫌っていましたが、我慢して暮らせてはいました。

祖母の末期癌が3月に見つかり、それから母は看病のため実家の岡山にたびたび帰るようになりました。
最初は父も母と一緒に車で帰ったり、4月のゴールデンウィークには私たち娘姉妹も一緒に帰って祖母を心配しました。

父は家では一切何もしない、自分のお酒一つ注がない人でしたが、自分は一人で生きてきたから大丈夫と言っていました。大丈夫じゃなかったようです。
本当は3月末で父の市の臨時職員の仕事は終了する予定でしたが、引き継ぎの関係で7月末まで伸びていました。
梅雨になって父の趣味であるテニスに行くことも少なくなり発散できなくなったのか、仕事が終わってしまうという焦燥感からか、仕事自体シフトも減った上、今まで人に作ってもらってたお酒(焼酎の水割り)を自分で注ぎだして際限がなくなったのか(今まで仕事前日はほとんど飲まなかった)、この時期に帰省した妹はお酒ばかり飲んでいると心配していました。
7月初めに岡山から山口に帰ってきた母とひどい喧嘩をしたようでした。
その数日後の7月13日、夜寝室で寝ている母のところへやってきて「これで終わりだろう」などと酔っぱらいながら母の腕や肩などを足で蹴って母の携帯電話を折りました。
母は突然の暴力に驚いて怖がりましたが、初めてのことだったので、このときは我慢しようとしました。
ところが、その後岡山の看病から帰ってきた7月22日夜、祖父と電話していた母に父が腹をたて、電話で祖父を恫喝、電話を母の耳に数回強く押し当て、耳を叩いたそうです。
父は次の日の朝から翌日8時まで仕事に出かけ、24日朝、帰ってくると母はいませんでした。
母は一応朝ごはんのお味噌汁などを作って簡単な荷物を持って、父が帰ってくる1時間前に家を出ていました。

父はすぐ私たち娘に「お母さんが出て行った。戻るように言え。いつ戻るのか。」と焦って電話をかけてきました。
わたしが母に電話をすると、新幹線の岡山駅に降りたばかりのようで「もう我慢できないから戻らない」と言っていました。
これは大変と、妹と相談し、わたしたち姉妹と妹の子供(孫)で父のいる山口に帰るとことにしました。
が、これを伝えようにも、24日は何度電話をかけても父は電話にでませんでした。
翌25日、午前11頃、そろそろ繋がるかとわたしが父に電話を掛けると、酔っぱらって「もう終わりだ」などと泣いたりわめいたりしていました。
そんな父は初めてだったので動揺しましたが、「落ち着いて。わたしと妹と孫で明日26日に帰省するから空港まで迎えにきて。酔ってるならバスで帰るから!!」と電話、メールしましたが、呂律もまわっておらず言動もおかしいままでした。それでも電話をかけると必ず出たので、電話を掛け続けました。
夜になると「お母さんを殺して自分も死ぬ」などと言い始めたので、「おかーさんを殺すってさ、どうやって殺すの~?」などと、気分を逸らそうと聞くと「そりゃ包丁やがな」と返ってきました。「なんで包丁なん?」と聞くと「銃がないからやろが」と言っていました。
この時点で、母に電話をして、「何はなくとも一回は警察に電話をして既成事実を作ってすぐ対応できるようにしてもらって!!」と伝え、念のため、窓などは全部締めて隠れて寝るように言いました。
母はちゃんと聞き入れてくれ、警察に電話をしてくれましたが、「来たら来たでしょうがないよ~」と呆れていました。この間、仕事中の妹にも父へ電話をしてもらっていましたが、私へのメールも妹への電話の返答も、鬱っぽくなり始め、自分の自殺のことを言い始めたので、次の日実家に帰ったら父の自殺体の発見でもせないけんのか~と思っていました。

翌日、朝7時過ぎに母から電話があり、「さっきお父さんから電話があって、大佐のボンエースにいるんだけどガソリンがなくなったからガソリン持ってきてくれんか?と非常に落ち着いた声で電話があった。落ち着いてたけどおかしいから、警察に電話して向かってもらう。今から病院に行って診断書もらって被害届出すことにした。ほんとうに来るとは思わなかった」と言われました。
わたしもまさか岡山に本当に行くとは思っていなかったので驚くとともに、父の大好きな孫を連れて今日の昼に帰ると伝えていたのに裏切られたと思いました。
妹と急遽相談し、山口の家の状態を見るべく当初の予定通り帰ることにしました。
その間に母は22日の暴行の診断書を病院で取ってもらい、父は傷害で逮捕されました。逮捕場所は大佐のボンエースではなく、高速道路下りの大佐のサービスエリアでした。

暗い気持ちで妹と実家に帰ると、予想に反して家の中は整然ときれいなままでした。ただ、玄関のカギは開いていて、居間の父のソファー前のテーブルの真ん中に携帯電話が置いてありました。
お酒の空き容器は大量にあり、母が出て行って1日半、ずっと飲み続けていたようでした。
翌日27日、母と岡山県警真庭署の人が現場検証でこの山口の家にくることになりました。

午前母を迎えに行くと腕に13日のあざがちょっと残っていました。包丁のことを聞くと、父の発見時は見つからなかったと言っていました。
午後、真庭署の刑事がやってきて、22日の暴行について一通り現場検証をしました。ここで初めて包丁のことを言うと妹は驚き、そして包丁が一本無くなっていたことが判明し、警察は急遽包丁を探しました。

包丁は大佐のサービスエリアで見つかり(逮捕場所付近に隠すように捨ててあった)、母は怯えはじめました。その夜は山口の実家に母とともに一泊し、母は残りの荷物をまとめ翌28日岡山へと帰っていきました。
わたしたち姉妹は東京に戻りました。
わたしは1泊して30日朝、真庭の祖父の家に着きました。一休みした後、父の接見のため真庭署へ行きました。
翌31日午前中も父の接見をした後、午後母と津山の検察へ行きました。当初母だけ検事と会う予定でしたので私は父に差し入れする本を見ていましたが、呼ばれて戻り、母と同席で検事と話をしました。
早くも釈放の話と、拘留は当初の10日から延長してもう10日まで延ばせるが最高20万ぐらいの罰金になる、と。20万をただ国に払うだけで前科も付くしもったいないので、一筆書いてもらったら不起訴になると。
母はとにかく「絶対に被害届は取り下げない」と言っていましたが、一筆、許す、ということと、釈放後はアルコール依存症の病院に通院する旨書いて署名してくれたら、被害届は取り下げなくても大丈夫だと言いました。
わたしとしては不起訴はありがたい、母はいずれ釈放されてしまうんだし、被害届さえ取り下げなくてもよいならそれでもよいとその方向で了承しました。
最高拘留しても期限は8月15日までで、それだとお盆で大変なので、その前に釈放日を6日までに決めて電話連絡をすると約束しました。
その日の夜、わたしは東京に戻りました。母はその間もう一度山口に戻り、市営住宅に入るため転出届を提出しました。

その週の金曜日3日、旦那と一緒に山口に行き、アルコール専門外来の高嶺病院に相談に行き11日に父の診療予約を取って、父の釈放日を10日にしてもらうよう連絡し、母には上記の一筆を書いて検察に郵送をするように頼み、翌4日東京に戻りました。

8月9日、妹と合流し真庭へ行き父と接見、夜は真庭の祖父宅に1泊、翌10日起訴猶予で釈放された父を連れ、妹と孫と車で山口へ戻りました。
前輪がパンクしてホイールがめげており、26日に高速道路の縁石に何度かぶつかったと言っていました。その時死んどけばよかったな、と言っていました。わたしもそう思いました。
父はいつものまともな状態に戻っていました。母が被害届を取り下げてくれたと言っていました。「お母さんは絶対に被害届だけは取り下げないって話で起訴猶予になったんだよ」と話しましたが、違和感が残りました。
なぜ包丁を持って行ったのか聞くと、自殺しようとして腕を切ってみたけど酔っても痛くて死ねなかった。つい持って行ってしまったと言われました。そういわれてみると、留置場にいるとき腕にうっすら傷があったな、と思いました。

実家に帰ってから父は一滴もお酒を飲まず、翌11日は予約してあった高嶺病院に診察に行きました。診断結果はアルコール依存症の中期と躁病。
躁病という言葉にどこか引っかかりましたが、アルコール依存が原因だと思っているのでそこは追及しませんでした。入院を勧められ、父も「お母さんが戻ってくるなら入院する」と言いました。
それから一滴もお酒を飲まず、家ではそわそわしながらも孫と遊んだり本を読んだりなどして過ごしました。

そうこうしているうちに14日祖母が他界しました。通夜は16日、告別式は17日でした。孫が熱を出したため、いけないとは思いながら父に車で中国勝山駅まで送ってもらい、父はそのまま山口へUターン、私たちはタクシーで

祖父宅へ向かい、母と会いました。父がお酒を一滴も飲んでないこと、入院する意思もあることを伝えるとちょっと考えたいという風でした。

葬儀の終わった17日午後、新幹線で山口に戻り、翌18日、妹と孫と父と4人で東京に帰りました。孫の面倒を見る名目で気分転換になればと一緒に戻ったのです。父は何かしてないとそわそわして落ち着きがありませんでした。
8月21日に父を羽田空港まで見送りました。妹と相談し、電話、メールを毎日してさびしくないようにすることにしました。そのうち、休んでいたテニスを24日から再開すると連絡があり、きちんと生活しているようでした。
が、25日あたりからおかしくなり、26日朝には朝5時から1時間ごとに「お父さんはどうしたらいい?」と連続でわたしと妹にメールが入るようになりました。妹が話した感じ、お酒を飲み始めたようでした。
母に落ち着いてもらうため、8月末まで連絡をさせない、9月30日に祖母の49日法要が終わったら家に戻ってもらうよう説得するという予定を妹と立てていました。
「8月末まで取り敢えず待って、自分の生活をして、お母さんにはそのあと連絡をするから」と父にメールをし「了解です。」と返事がありました。母のことばかり考えているようでした。

その後26日夕方にわたしの携帯に電話がありましたが、憂鬱になっていたのでかけなおさず、27日胃の具合が悪いとメールがあったので電話をしました。逆流性食道炎かもと話をしたときに唐突でおかしかったので「お酒飲んでるの?」と聞くと、飲んでるとも飲んでないとも言わず、話を逸らされましたがおかしい様子でした。夕方、「お薬飲むんだよ」とメールするといつもの「了解しました」と返事がきました。妹のメールには「仕事を探すためハローワークへ行った。人がやりたがらない仕事が絶対あるはずだから」と前向きな様子でした。
翌28日、家の包丁2本を水筒袋へ入れ、8時58分ごろ、いつもの出口ではない1つ先の院庄の高速出口をおり、車を車庫にとめ、鍵を車内におき、玄関で靴を脱いで家にあがり、母を刺して自殺しました。高速出口を降りてから30分ほどの間でした。母は洗濯が終わり居間で一息座っていたようでした。

母は正座でうずくまるような状態で倒れていて、主に背中を刺されていました。
顔はきれいなままでした。起き上がりそうでした。お餅が好きだったのでお餅をお棺に入れました。

母は7月末にDV事件があってから、真庭署のあっせんで市営住宅に優先的に避難入居させてもらえることになり、お盆明けには風呂釜が入れば入居できることになっていました。
7月31日に母と一緒にその市営住宅の周りを見に行ったり、準備を進めていました。祖母の葬儀の日に市役所担当者から風呂釜の連絡が入る、と言っていました。
今週入れる、来週入れるとずるずる延びていました。
殺されたとき、荷物はまとまっていて、車には簡単な電化製品を積み込み、近所の電気店で大型の電化製品を購入し配達を頼んであり、いつでも市営住宅に行けるようにしてありました。22日には敷金を払い、契約をしていました。
が、入居できるように風呂釜が届いたのは28日殺害当日とのことでした。
母は以前から「一人暮らしがしたい」と賃貸募集の間取りを見て夢のように言っていましたが、叶わぬままでした。
1日でも早く入居できていればなぁ・・

死の一週間前、電話で母と喧嘩をしたので、後日代わって冷静な妹から母に連絡をかけてもらったとき、一人暮らしして落ち着いてお父さんがお酒を飲んでなかったらもどるかも・・のように前向きに話していたそうです。
祖父も、亡くなる前日母と夕ご飯を食べながら同様の話をしていたそうです。

母の葬儀後、父の密葬を済ませ、わたしはお骨を持って防府の実家に戻りました。
今度こそ荒れているのではないかと怯えていましたが、玄関のカギはかかり、1週間ほど前に自分たちが家を出た状態のまま、きれいでした。
ハローワークの書類が机にあり、洗濯物も干されていました。が、お酒を飲んでいたと思われる2日ほどは服が洗ってありませんでした。
お酒は大量に見つかりました。包丁は、自分たちが帰省したときに使っていた1本が残っていました。
他は何も変わらず、遺書もなにもありませんでした。自分勝手極まりないと思いました。

母は祖母と同日満中陰を迎えることとなり、お墓も祖母と一緒に入ることになりました。わたしは分骨してもらうことになりました。
おじいちゃんは娘のひどい姿をみて、おばあちゃんと娘を亡くし、誰より可哀そうです。
おじいちゃんだけは幸せになってほしいけど、もう無理なのかもしれない。

ニュースを見ると、被害届は取り下げられていたようで、検事に騙されていたようです。今更言ってもしょうがないですし、罰金を回避するためにしてくれたのでしょうか。母に「もっとアル中の酷い人はいっぱいいるよ。叩かれ慣れてないんだね。」とも言っていました。甘かったのでしょうか。
当時録音機を持っては父との接見等を録音していました。検事と話した際も録音ボタンを押していました。
母の共済保険に電話したら、受取人に殺されているので保険は下りないと言われました。そりゃそうですが、すっかり忘れていました。
どうしたらいいのかなぁ。
わたしの名前がダメなのかと思って今日占いに行ったら絶家でダメなんだって。なんかダメなんだって。
ニュースで父が「お母さんは家事を何もしない」と愚痴ってたって出たけど、逆だよ。すごい掃除好きでアイロンかけの名人で丁寧で質素で優しい人だったのに。
お父さんも真面目な人だったのに。最後ら辺は落ち着きがなかった。前向きなのかなんなのか。躁病・・もともとおかしいところのある性格の人で、お母さんに押し付けてしまった・・離婚を進めておけばよかった。
最初の事件でお父さんの肩をもったのが悪かったのかな。
お母さんとの最後の電話はけんかしちゃった。
お父さんが釈放されてお母さんに謝りたいっていってたのを、刺激するといけないからと止めたのがいけなかったのか、二人のことだから間に入らず放置すべきだったのか、わたしが余計なことするとろくなことにならない。

お母さんの倒れていた居間の血の付いた畳をある程度掃除するときに、おじさんはビールをかけて拭きだして、私はキッチンハイター、おじさんはシンナーをかけだしてなんかもう。畳屋さんがきれいにしてくれました。
もしお母さんを殺した後にお父さんが死んでなかったらどうなるかな、と。まぁわたしが絶対に殺すだろうけど。
でもお父さんのお墓どうしよう。こないだ北九州のお墓行ったとき、ここに入れてくれとか言ってたけど、一昨日お墓の周りの人に訪ね回ったけど、だれも管理してる人を知らなかった。謄本とったらわかるかな。地番調査できるかな。もともと父方は親戚づきあいもなく、兄弟仲も悪く、最悪。

なんか実感はあるようなないような。わたしがけしかけたのかな。どうすればよかったのかな。
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無題
あまりの事でなんと言っていいのか・・。
すごく責任を感じているようで心配です。
あまりご自分を責められませんように。
単位補充| | 2012/09/07(Fri)00:48:38| 編集
無題
なんか東京の家帰ってきたら何事もなかったよーな
気がするお。
あまりのことにびっくりしちゃうよね。
ぽてティン| | 2012/09/07(Fri)20:04:55| 編集
無題
衝撃的な内容で言葉がみつかりません…
深い悲しみの中複雑な心境で日々過ごされていると思います。
色々悔やまれる事あるかと思いますが、どうかご自分を追い詰めないで下さいね。
にゃ凜| | 2012/09/10(Mon)10:25:43| 編集
無題
忘れないように、と思って書いといたけど、
いま読み返すと酔っぱらってんのかって感じね。
東京にいると実感なくて案外元気なので心配ありがとう
ですよ。
ぽてティン| | 2012/09/16(Sun)20:45:25| 編集
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ぽてティン
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アニメ・ゲーム・ホルン・着物
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ええ年こいてアニメとゲームの遊戯感想文が主になると思われます。忘れないよーに書留めてます。他は、吹奏楽団でホルン、着物など趣味のことと日記も書いたりします。
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